『好きだよ』が言えなかったアタシ。/ただの恋。
今回は恋のお話し。笑
ナオ先生(仮名)に私はいろんなことを教わった。
とりあえず『挨拶しないとクズ扱いされちゃうから挨拶だけはきちんとしな』と言われた。
クズ扱いとかはされたくなかったから、中学生だったアタシは、それからはできるだけ挨拶だけはきちんとするようになった。
ナオ先生はお父さんの後輩で、すごく若いお兄さんだった。
アタシと10歳しかはなれていなかった(当時24歳?)。
お父さんの家にたまに行くとナオ先生もいて、一緒に絵を描いたりしながら遊んだ(私の両親は離婚していた)。
『お父さんが知ってる中でナンバーワンだよ^^』
とナオ先生の絵の実力をお父さんは言っていた。
確かにそうだろうと思った。
ナオ先生は、ものすごい斬新な絵を、ものすごいスピードで正確に描いていた。
化け物だと思った。
当時、こんなふうに描けないと思った(今でもあんなスピードで描けない。私が2日かけて描いた火の鳥をナオ先生なら1日で3枚は描けそうなスピードだった)。
(火の鳥)。
とにかくスピードではこの人に一生勝てないとすぐにさとった。
だから、完成度で勝とうと決意した。
そんな凄まじい才能のナオ先生は、絵の世界では生きていなかった。。。
以前はデザインの会社や広告関係の会社にいたらしいけどすぐにクビになったと明るく笑いながら話していた。
そうだろうな、と思った。笑
目の前にいる丸刈りの大男は、全身真っ赤な服装で、青い蟹を描いていた。
とりあえず、デカい。
『2メートルはないよ?』て言っていたけど、きっとあった。笑
話し方は舌ったらずで、たいがいの人はナオ先生がバカにして話しているんだと勘違いしてイライラしていた。
外見は奇抜なのに、ものすごい繊細で身長のことを言うと、露骨に悲しそうな顔をした(高身長にコンプレックスをもっていた)。
しかも、そんな外見なのにすごい子ども好きで、お菓子作りが趣味だった。
完全にヤバい人だと思った。笑
そして惚れた。笑
ナオ先生は当時川崎市(向ヶ丘遊園)に住んでいて、ちょくちょく理由をつけては会いに行った。
会う口実は絵だった。
とりあえず、教わりたいと言いながら会いに行って、絵のことを真剣に教わった。
会うために教わった絵は意味不明なくらい上手くなった。
気づくと、ナオ先生から『これ、オイラじゃあ描けないな』て言われるようになっていた(お世辞でも嬉しかった)。
どうしてそんなに上手くなったのかよくわかんなかったけど、とりあえずそれなりに上手くなった。
何回かデートみたいな感じで夕食を食べに行ったりもしたけれど『好きだよ』がどうしても言えなかった。。。
ナオ先生も絶対私のことが好きだった。
当時から私はメチャクチャ可愛かったから。笑
すごい気持ちが伝わってきた。
でも、私は中学生だった。
それが、なんか、2人の壁になっていた。。。
大人の飲み物を飲んだ夜に駅まで送ってもらって、悔しくて泣いてしまった。
その日はナオ先生とのお別れの日だった。
『今度、田舎に帰る』と言っていたからだ。
どうして言えないのか意味不明だった。
辛すぎて改札に向かえなかった。
「早く行きな?」
て言われてしかたなく振り返らないで歩いた。
でも、私は帰らないで、じつは追いかけて、ナオ先生がバイクを止めていた駐輪場まで走った。
絶対言おうと思った。
でも、駐輪場に行ったら、もうナオ先生はいなかった。
それで、なんか、ホッとした。
これで良かったんだと泣きながら帰った。
ナオ先生は地元で絵とはぜんぜん関係ない工場で働いているみたい。
あんなに絵の上手い人が田舎の工場で一生を終えるのが、私にはやっぱり意味不明。
世の中がおかしいと思う。
それとも私がおかしいのかな?
よくわかんないけど、話したくなって話してしまった恥ずかしい思い出。笑
最後まで読んでくださり、ありがとうございましたm(__)m。
またね^^
※所々、脚色しています。身バレをふせぐ為ですm(__)m。