夢みたいな現実と大キライなお母さん。
※閲覧注意のお話です。暗い話が苦手な人は読まないでください。
前々回の『新しい親子になる決意したアタシ。』のつづきになります。
・・・施設にいた時はとくに気にならなかったけど、今になって思うと、イロイロ不気味なことがあった。
あの施設はぜんぶボランティア活動をする場所になっていて、お金とかを稼ぐような場合ではない、て確か誰かがいってた。
でも、それならどうやって施設の維持費(?)的なものを稼ぐの?
て
今になって考えてみたりする。
当時からすごい賢いアタシだったけど(賢すぎて将来が心配って遠回しによく言われた)、やっぱ小学生だったから、そういったことなんか気にしないで毎日農作業手伝ったりカゴを作ったりしていた。
うん・・・
今思うとあのカゴとか、たぶん売ってたんだよね?て思う。
農作物とかは、たいした量じゃなかったから、あの施設内で食べてたんだと思う。
キベさんとか他のおばさんたちは、ボランティアで書道教えたり、ピアノ教えたり、絵を教えたりしていた。
アタシは一回もやったことなかったけど、なんか、教室にいっぱいおばさんたちが集まっているのを見かけたりした。
私はめんどくさいから『施設』て言い方をしているけど、施設にはそれぞれ名前があって、みんなその名前で自分の生活している建物の場所を伝えてた。
『私は今から、※※の広場に行くところだよ』て言えば、みんな場所とかわかるみたいだった。
ちなみに、意味不明だけど建物は星座(?)に関係する名前がついていた。
おばさん以外にもおじさんとかいたけど、圧倒的におばさんが多かったし、おじさんとかは、ほとんど印象にないから、思い出すこともできない。
あと、虫とか山だからすごいいっぱいで、毎日カとかカナブンとか、すごい飛んでた。
だから、日記とか読み返すと【今日は、カを何匹たおして、カナブンを何匹つかまえて】みたいに書いてあって、ほとんど何してたのかわかんない日が、けっこうあったし。
なんか、お母さんからたくさん頭とか叩かれたから、私は記憶力がけっこうかたよっていて、景色とか物の色とか人の顔とかはすごい覚えているんだけど、何をしていたとかは、けっこうあいまいだったりする。
というか、これもお母さんのせいだけど、小学生の頃の記憶とかって、夢と現実のくべつがむずかしいし。
あと、人の名前とかも、なんか、ぜんぜん覚えられないから、特徴を覚えて、自分の頭の中であだ名をつけて覚えるようにしている。
だから、キベさんとかも日記読むまで名前忘れてたし。
そんなアタシだけど、一つだけ忘れない記憶があったりする。
それはお母さんに関係する記憶・・・。
それだけはすごい細かく覚えていて、何回叩かれた、とか、どんな悪口言われたとか、すごい覚えている。
だから、いきなりお母さんが施設にきた日のこともすごいよく覚えている・・・。
つづく。
※なんか、施設の維持費のとこから、いつの間にかお母さんの話になってたけど、あんま気にしないでください。なんか、アタシは人に説明とかできないみたい。ごめんなさい。